アトモスフィアの双盃

アトモスフィア(atmosphere)とは空気のことじゃなくて雰囲気のこと

負けず嫌いには不採用がよい

好きな食べものは甘納豆と納豆。嫌いな食べものは柿と海のミルク。ふつうな食べものはしるこサンドと塩バターパン。以上、自己紹介でした。

 

自分のことを負けず嫌いだと言い張る人間は、大抵つまらないことが多い。

 

 

そして負けず嫌いであることがさも『自分の柱である。』と考えている。まさか。

 

 

負けず嫌いであることにデメリットがあると考える。そしてこの言葉はキライだ。好きな言葉・きらいな言葉というのは大切だ。魅力が増しオリジナリティに磨きがかかる。みんなが使っているから、と適当な言葉に流されるとその人らしさは損なわれてしまう。

 
『食わず嫌い』という言葉と比べると明白。食わず嫌いは正しい言葉だ。なら『負けず嫌い』は間違った言葉なのか?

 

じつは誤用が転じて正しくなってしまった。正しくなったとしても、本来は誤用なのである。ほんとうにばかばかしい。その言葉をつかうことが茶番のようにおもえて萎えてしまう。

 

こういうのを気にしない人は『弱肉強食』という言葉も誤用している。こういう系統の表面的な言葉が好きですぐに食いつく。内面的には間違っているがそのことには気付くことはない。

 

負けず嫌いはいけないことなのか?負けることから学ばないこと、勝つに執着することで周りがみえなくなること、共有や共生という考えが弱まること、などがいけない。

 

『わたしの強みは負けず嫌いなところです。』こういう人物を不採用にしたいが、注意が必要。

  

富山県の企業も『○○な人物は不採用だ』と発言し炎上にあった。この事件に関しても負けず嫌いな人が炎上の一端を担ったんじゃないか。要約ばかりが発信されてしまい、
肝心の想いや伝えたいことの核が埋もれてしまう。

 

負けず嫌いの人にこそ、生死をさまようような痛恨の負けを味わってもらいたい。『不採用』というかたちで。

 

私は社長ではないし、社長にもなれない。腕力がない。