アトモスフィアの双盃

アトモスフィア(atmosphere)とは空気のことじゃなくて雰囲気のこと

生徒会の既存

学園ものの漫画・小説やADVゲームは生徒会や文化祭が、山場となることが多い。読者やプレイヤーも(日本国では)、現代の学生を経験済みで感情移入しやすい。その場を楽しむような感覚。強力なものは、大人にも感動を与えるだろう。

 

 

 


今、私がやっているゲームに生徒会がでてくる。ちょっと世界観が特殊でゲームの舞台となる学園には生徒会が2つ存在する。俗に『恋と選挙とチョコレート』という前例があり、オマージュという。

 

もしも現実で生徒会が2つや3つあったらどうなるか?ということを考えるのも面白いかも。選挙の年齢が18になったりで、生徒自身の情緒に良い影響を与えると予測。

 

 

たとえば、

 

  • 行事が終わったとき、友人同級生知り合い先輩後輩男女先生が「よかったよー」「アレはねーよw」「片付けガンバ(-ω-)b」みたいに話しかけられまくる
  • 放送が鳴り響き、過去と未来がどうでもよくなり『今』が最も優先される感じ
  • 茶店をしたいクラスが3つくらい被って抽選。

 

などが私に思い起こされた。このようなお祭り感の演出・雰囲気は感心するのもある。小説なら挿絵を抜かせば文字のみ。ゲームなら音楽とボイスと文字、ちょっとした映像演出。途中でいきなりムービーが始まったり画面が暗転したり色彩が反転したりなど。

 

いかん。感服のしすぎはダメ。自分も生徒会を経験した人間として、5年以上も前のことなのにムキになっている。「俺の方がもっと上手く行事感・お祭り感を表現できるぜ?!」という謎パッション。必要だ。

 

あんまり関心や尊敬、ファンになるようなことはこの先、生きていくうえで控えたいのだ。なぜなら、正直よくわからないがなにか消費の世界の限界というか?「それって既存だよねー」「不満か満足かで終わりー?」、自分の考えを狭めている悪寒がする。

 


生み出すのも大事だと思う。無限の可能性がある?無の可能性もあるのか。ゲームばっかやってないで作ってみたらどうなの。食べてばっかいないで、自分で作ってみたらどうなの。音楽ばっか聴いてないで、創作したらどうなの。ぼーっとばっかしてないで、働いてみたらどうなの。

 
既存で満足したくない、いや本当は満足していないんじゃないか。