アトモスフィアの双盃

アトモスフィア(atmosphere)とは空気のことじゃなくて雰囲気のこと

境界 / ケーキ

「境界」と「ケーキ」

 

自分の住んている村に面する、小さな隣村の間にある無名の硲(はざま)。どちらの村にも属さない、違いを分ける境目。新しい地図を眺めても境界の地名は明記されていないどころか、存在すら曖昧にされている。だが、土地勘のある者なら空間的な齟齬を感じる。ここまで来ると意図的なのだろう。

そこは無法地帯で無政府地帯だったらしい。昔、夜中にそこで何かの闇取引が行われていた。現代では廃れたようで人の気配も何もない。淡黄色の藁が積まれている。夜に付近を近づくと気分が重くなる。過去を忘れてはいけない、憶えていないとは言い切れないと語りかけてくる。

 

***

 

ある趣味は人生において、1度だけしか許されていないものがあると思う。人間にとって何回もできないので、決行する契機を慎重に確認しなければならない。イラストを描くのが趣味なら、描いた紙面を破り捨てたり消しゴムでゴシゴシと抹消できる。人は誰しも公にできない、秘密の思考があるんじゃないだろうか。

 

姉は受験のための塾に通っていて、今日も帰りが遅い。ラッピングされた夕食が、調理場のまな板の横に飾ってあった。

 

「お兄ちゃんは、ケーキ屋さんになるんだよ」

 

妹は先の尖ったフォークを上向きに構えながら、はしゃいでいて楽しそうだ。

 

「え?そうなの。」

母は怪訝そうな顔つきで、妹に問いかけている。妹の脳内にある空想の話に付き合っているようだった。それを自分は、千切りキャベツを口に運びつつ、耳だけで傍観して前に座っている。

 

数日前が誕生日だった妹の為に、チョコレートケーキを自作した。それだけのことである。見た目はカラフルで美味しそうにできたと、我ながら誇らしい気持ちになった。
お菓子作りは、高尚な趣味ではない。習い事や部活動のような一般的な分類で、明確に区分されると思う。学校で数学や英語を習うような、知人に料理を振る舞う所作に似ている。

 

いつか実現する日が来る予感がある。深紅の苺を最後にポクっと食べるように、楕円状のミルクチョコレート板に白の文字を書きあげるように。でも独白できそうにないのは、実現と終末が同時に現出するからなのだ。