斎藤工とアナーキズム
『Finderを開いた状態でコマンド+Wはある。コマンド+Qがないのはおかしい。Finderは謝罪しろ。お腹と鈴虫が鳴りやまない。』
Finderに親でも殺されたのかな。
今回もテーマがない。
斎藤工
ちょっと前だとテニミュ。近年では昼顔のイメージが強い。ガキ使の出演は定義や概念を揺るがした。私はとても動揺した。春琴抄に出演していると聞き、さらに興味がわく。
『これとコレが同音異義語なのは、なんでだよ!!』という言葉がある。
具体例はわすれてしまった。
小説
小説の要素で片側の欠損は多い。目がつぶれ、耳は聴こえず、腕もない。身体不満足、満身な総意。一臓一腑で一面二臂。ものがたりの終盤で治ればハッピーエンド。反して終盤でヒドイ目に遭うのはバッドエンド。まるで鬱ゲーのようだ。そんなにプレイしたことはない。沙夜の唄でさえ詰んでしまった。
この鬱な感覚。美しさに近づけられないか?鬱病という意味ではない。鬱ゲーは必ずしも鬱病のキャラクターはでてこない。
あんまり考えすぎると戻れなくなりそう。危険思想。穴が空いている。