アトモスフィアの双盃

アトモスフィア(atmosphere)とは空気のことじゃなくて雰囲気のこと

ターミナル / 未来

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ゲリラのような土砂降りの雨は降り止んだが、まだ雲行きは怪しい。所々に窪みのような陽光が差し掛かっているが、晴れるのかどうかは分からない。

 

疲労感が肩にのし掛かっている。髪の毛はもうすぐで乾きそうな気がする。スニーカーは少し湿っていて、何もしてなくても気持ちが悪い。今すぐ捨ててしまいたい。裸足で歩くくらい、どうってことない。

 

ベンチに腰掛けて、右に左に忙しなく行き来する男女がとてもうるさい。喧騒、足音、携帯電話と通話、引きずられるキャリーバッグ。目の前に設置されたゴミ箱は3つとも溢れかえっている。そのうち左のゴミ箱は倒れてしまっていて、中身が醜く散乱していた。そんな様子を気にする風でもなく、空のペットボトルをねじ込もうとする中年男性。そのような情景からも、諦念や落胆を感じさせる。どうでもよくなってくる。

ひどい振られ方をした。「先に言って欲しかった」らしい。そして「前もそう言った」らしい。らしい、ではない。きっとそうなのだろう。ただ、どうでもよくなってくると何もかもが分からなくなってくる。頭が思考停止して、心が凍てつき、自分が自分でなくなる気がする。ただ立ち尽くすのみだ。自分の手からするりと、心が溶けていってしまう。

時間を巻き戻せば解決できたのだろうか。私の希望は、私の後ろに審判をつけて欲しい。もし誤った回答を言おうものなら全力で止めてほしい。私の人生は補助されるべきである。だってこうなってしまうのだから。好き好んでこんな結末にしている訳じゃない。こうなってしまうって分かっているなら、避けた方がいい。

簡単に解決してしまう人間がいる。彼らはするっと正解を言う。ただ、正解を知っているのと、正解を実行できるかどうかは全く違うのだ。まあ私の場合は無知な場合も多いのだけど。よく分からない、なんか怖い、ハードルが高い、というような感情にがんじがらめになっている。そもそも、正解が実行できるなら問題になっていないのだ。そんな器量がない人間だっているのだ。

男を辞めたい、とも思う。どうも思考に対するノイズが入っていると思う。論理的に考えているようで、実際は無であると思う。慮りが足りない。他人から正確な情報を読み取れない。自分の中から間違った情報を抽出してしまう気がする。他人について行けない、ついて行こうとするだけで息切れを起こす。ついて行こうと努めることが私の限界である。

 

自分の至らなさは、他人に対して申し訳なく思う。こんなにも何もかも上手くいかないのなら消えてしまいたいと思う。だってそうじゃないか。実際問題、こうなってしまうのだから。

私の中に解決策はない。外側にあるのかどうかは分からない。目隠ししながら、ありもしない解決を探している。目が見えているようで、本質は確実に反らしているのだ。

 

 

目の前に彼女が立っている。ここまで張り巡らせた、考えていることは間違っているらしい。振られてもないのだろう、おかしいな、確かに振られたような空気感と展開、彼女の言葉、雰囲気はそうだったと認識したのだけれど。よくある感覚だった。

無言ではないと思う。何か発言したと思う、行動を起こす前に一言の声かけを忘れないような子なのだ。「隣座っていい?」とか「何してんの?」とかそんな感じの。

私が顔を挙げたら、ベンチに気配が届いた。目の前には誰もいなくなった。私の認識はいつまでも鈍いままだった。

 

 

 

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遠い未来に描かれるひと時の夢を、画面越しに先取りで眺めている。

グラスを重ねる度に響く軽やかな祝杯のサウンド。果実を熟成した、弾ける炭酸の香りは気持ちを高揚させてくれる。給仕が運んでくれたのは何度目かの豪勢なデザート。隣の席のカップルが頼んだカマンベールチーズやポテトサラダに目移りしてしまう。マリアージュのズレをテーブル越しに感じてしまう。

若い男性がそばだている目線の先には、ドレスコードを身に纏った、恐らく海外の人が数名。この日のために海の向こうから遥々やってきたのだ。集客力は凄まじい。

今は仕事への忙殺も育児への翻弄も、棚の上に閉まっておきたい。何かの誤解で許された、一瞬の休息に身を興じながら不思議な感覚に浸っていたい。