山羊 / ナデシコ
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「…ん? なにか…言った?」
寝ぼけた眼を両手で擦りながら、気怠そうにゆっくりとつぶやく。
「ぐっすり寝るのが良いこと、なのかなぁ?」
約30分前に起きた僕は、彼女の端正な寝顔を眺めながら思っていたことを口に出した。
「私、そんなにぐっすり寝てた?」
「いつもぐっすり寝ていると思う。とても羨ましいと思った」
「はぁ… そんなの分かんないよ。寝過ごすこともあるし、羨ましがられても鬱陶しいだけだし。良いってことは、ないんじゃないの?」
2時間ごとに目が覚めてしまう僕からしたら、3時間も4時間も断続的に眠れる人間は頭の構造が違うと思う。
「じゃあさ、ヤギでも飼ってみる?」
「ヤ、ヤギ?」
「そ。さっきまでさ、雄大な牧草地で3匹のヤギと遊んでたんだよね~。可愛かったなぁ…」
彼女は突拍子もないことを言い出した。恐らく、まだ夢の中にいるのではないか。一緒に住むようになってから知ったが、彼女は夢の話をよくする。
「あのメェ~って鳴き声の、白い動物の?」
「うん、そう。山に羊と書いて山羊。メェ~って、絶対可愛いし、周りに自慢できそうじゃない?」
ヤギって可愛いっけ?自慢できるっけ?そもそも一般人は飼えるんだっけ。疑問しか湧かないのは、夢の外から夢を突っ込めるからだろうか。夢というのは、前提から混沌としたものだと思う。
「ヤギを毎日眺めていたら、ぐっすり眠れるようになるよ、たぶん。おやすみ。」
そう言って、彼女は安らかに目を閉じた。夢の続きへ簡単にワープできるような潔さに、僕は閉口してしまった。自分の考えが纏まるより、寝息が聞こえてくるのが先であった。
***
彼は鈍感だ。あまりにも鈍感すぎてムカついている。
私は卒業してしまうのに、っていうか卒業してしまったのに。
彼は後輩のくせに、平気な顔をしている。けど私は勘づいている。心底の彼は、嫌われる勇気がなくて逃げようとしているだけだ。それはちょっと可愛いけど、ものすごくダサい。
だから私は不意をついて攻撃をしかけることにする。窓の外を眺めている彼の後ろに近づく。気づく素振りがないのは予想通り。
ふぅん。じゃあ、遠慮なく。さらに近づく。
手が届きそうな至近距離まで来た。射程圏内。あとは背伸びをして、手を伸ばすだけ。超手軽で超簡単。
やった。
彼は私の方をやっと、やあ~っと振り向いてくれた。何その顔、ウケる。ケータイがあれば、写真を撮っていただろう。
私の高校生活の恋は、これでおしまい。
明日は、サークルの先輩とのデートの返事にOKを送るのだ。高校生に構ってられないくらい、大学生は忙しいのだ。