アトモスフィアの双盃

アトモスフィア(atmosphere)とは空気のことじゃなくて雰囲気のこと

おせっかいな注釈に弄ばれる

中学生のときフリーゲームに憧れて、自分もゲームを作りたい、と思った。

キャラクター考案、シナリオ、ゲームアクション、グラフィック、サウンドなどをせず、まずインストーラの準備や説明書を作りはじめる。

 

結果、完成しない。

 

物語工学論、という本がある。角川ソフィア文庫白衣のお姉さんに釣られたのは、言うまでもない。

 

この本の特徴は全体の3分の2が注釈と思えるほどすさまじい注釈の量。注釈がまったく読者の理解の助けになっていない。ページを行ったり来たりで、読み手の集中力を削ぎたいんでしょうか?注釈が出るたび末尾へ行く。もしくは注釈は最後に読む。

 

後者を選ぶくらいなら、もう読まなくてもいい。だって本文読み終わったんだし。覚えてないよ。

 

注釈は、あとがきや年譜、作者の経歴、文庫版あとがきの仲間と言いがたい。

 

ブログで例えると。スクロールの上下。長い記事であるほど移動距離を求められる。ウィキペディアjavascriptか何かで下側に吹き出しが出る。

 

1行の注釈なら無理やりでも本文に組み込めると思う。読みづらいなんてめったに起こらない。何行も注釈を書いてしまうのは語りたいことが多いからだ。取捨選択するか、いっそのことそれ自体をピックアップできる。もう1記事作れるんじゃないかな?

 

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↑錯文が面白かった。