アトモスフィアの双盃

アトモスフィア(atmosphere)とは空気のことじゃなくて雰囲気のこと

読書における『再読』についての考察

どこかで読んだ文言

『ブログは1000字以上かかないと意味がない』

 

前回の記事も意識したんだ。800字だった。<h1>タグとか書くのしんどい。ぱくたそから画像をもってくるのも面倒くさい。

 

不服ばかり述べちゃうね。んじゃ書くな!! 

  

つらつら流しそうめんのように書いても意味がないので結論。

 

人生において(おおげさ)ある1冊決めて再読をライフワークしたほうがよい。

 

伊坂幸太郎の小説のキャラクターに『罪と罰』を再読しまくるコロシヤ、がいる。「オレは本はまったく読まない。この本を何回も読むだけだ。読みすぎてボロボロになっても読み続けた。物理的に読めなくなったら買い替える、今は3冊目だ」


しかし映画化でこの設定はカットされた。私は激怒した。


ロシア作家のキョクタンスキーにあやまれ。斉藤和義にあやまれ。濱田岳にもあやまれ。

 

読書メーターのアカウントで、感想文の語尾にかならず「再読の必要がある」で〆ているものがある。結局しないんでしょ?あっという間に卒寿を迎えそうな発言だ。ヒトの一生はホタルのように短い。

 
以下、わたしの唯一の再読する本についての紹介。


会ったのは高校2年の夏。その本は、青春小説とSFを織りまぜながら10代の死生観や絶望などの壮大なテーマに挑む。小規模な世界観ながら、ファイマンさんもびっくりのハードボイルな小説だ。

 

その小説は新潮社だったか集英社だったかのが『中学生によんでほしい本 50選』という冊子に収録されていた本の1つ。恩田陸伊坂幸太郎芥川龍之介などが紹介されている。 高校生の自分は不安になった。高校生にもなって、冊子に収録されている本の1つも読んでいないのは中学生に遅れをとっているのではないか?

 

そして手をだした。読了後は感動?いや心にのこったというか、心に深手をおった。

 

アンド、悟った。『こういう物語が好き』なことと、『この本が生涯でベスト』なことを。

 

それからむさぼる日もあれば、本とは無縁の生活を送ったりした。芥川賞の本を読んだり、ロシアの長い小説を中巻まで読んだり、ハルキストに出会い、樋口一葉はむずかしすぎて挫折。森鴎外も無理、夏目はイケる。

 

安部公房大江健三郎知名度の低さに失望。今は朝永振一郎("あさなが"じゃないよ!!)を読みたい、でも高価で買えない。早川書房だからだ。


最近ショックだったのは『仕事や人生や未来について考えるときにアーティストが語ること』という本。出てくるアーティスト、38人中1人しか知らない。

 

その1名、知っていたのはもちろん会田誠。知らない人ばかりで自分の知識の少なさに俄然愕然。むしろ装丁家を知っている始末、鈴木なんとかさん。この人けっこう有名じゃないか?この人の作品集というか本も読んだことがある。

 

あーーーこれでやっと1000字。マジメは損をする、もうしない。