アトモスフィアの双盃

アトモスフィア(atmosphere)とは空気のことじゃなくて雰囲気のこと

早く決めなさいと言われない自由と責任

読みたい本が児童コーナーにあるとき、ハラハラする20代無職男性。恐らく合法。

 

小さい子はビデオ屋さんの奥深くに存在する暖簾に入りたがる。いけません!!逆に小さい子が難なく入れる場所というのが存在する。アウェイというものです。

 

テプラのもじがぜんぶひらがなでよみづらい。ルビが多いのも同様。

「たかいほんがとれないときは、カウンターのひとをよんでね」

こっちとしては読みたい本が入った本棚が低すぎて、探すのが大変だ。屈んだり、ほふく前進でもするかのように、自動販売機の下をのぞくような格好。乞食Style.

 

長方形の書類のようなものを発見。えっ!?これってもしかしてあれですか!!??

かみしばいじゃないか!!テンションが上がる無職。

社畜はプレゼンテーションという紙芝居をよく扱っている。やっている仕組みは一緒。でも紙芝居のほうが楽しそうだ。内容にもよるが、読む人の上手さもあるのだろう。

 

若者には新聞より難易度が高い

 

ポスターが貼ってあって、なるほど、今の時期は夏休み。読書感想文がある。課題図書やオススメの本などが紹介されている。

 

小学校のときを思い返す。その当時も今のようなポスターはたくさん貼られていたはずだ。なのに何の本を選ぶか大変苦労した記憶がある。これは何故なのだろうか。直感的におすすめの本は馴染まなかった。いや、いいっす…みたいな。感想文を書かない選択肢はないんスか

 

今は自然と読みたい本は多々ある。すぐ買いたい今すぐ読みたいという衝動的なものはない。予約も取り寄せも行わず読めれたらいいな、と思っている。ポスターを見る、やっぱり大人になった今でもしっくり来ないんだよな。選定した人とは趣味が合わないのかもしれない。

図書館に子どもを連れてくる大人の読書遍歴を妄想する。逆に連れてこない、子どもだけでやってくるパターン?それもあり…敢えて、それがありと言ってみたい。